vol.2“ヤジ”の大衆芸能的な文化性と効果的な飛ばし方について考える。その1。
2018/10/12 11:00
ウエノミツアキ
昔から公営競技をやっている人ならばお馴染みの“ヤジ”。
最近はあまり大声で叫んでいると警備員に怒られるなんて話があったりしますが、ヤジは公営競技の醍醐味。公営競技の楽しみのひとつであると思います。残したい文化です。
なぜ残したいかというと、聞いているだけで面白いものがあるから。
例えば人気を背負った先行選手が逃げ切れなかった場合、こんな声が聞こえてきたりします。
「てめぇ~、ちゃんと逃げろよ!このクソ野郎が~!!」
自分はこれをヤジとは認めません。これは罵声です。大声で口汚く罵っているだけです。 ただ、このような罵声もときには必要だと考えております。お客さんの期待とおカネを背負って走っている自覚のない選手は、あからさまにレースで手を抜きます。お客さんはその姿を見て、罵声を浴びせるのです。真面目に走って負けたのなら、お客さんは罵声を浴びせません。何レースも見ていたら、その違いはハッキリとわかります。なので、選手に自覚を持たせるという意味において、ときには罵声も必要だと考えます。
えー、話を戻しますと、人気を背負った選手が逃げ切れなかった場合。
「てめぇ~、ちゃんと逃げろよ!このクソ野郎が~!!」
これは罵声です。一方……。
「お前がちゃんと逃げんと、俺が夜逃げせんとあかんのや~」
これがヤジです。
例えば人気を背負った選手がツキバテして(先行選手に付ききれずバテて)消えていった場合。
「てめぇ~、飛びやがって!殺すぞ!!」
これは罵声です。汚い罵声です。一方……。
「お前が飛んだら、俺もビルから飛ばなあかんのやで~」
これがヤジです。大衆芸能的な文化性を持ったヤジです。
本気で夜逃げしたり、飛び降りたりしなくてはならないほど切羽詰まった人がそんなことは言いません。自分が的中できなかったつらさを和らげるために面白おかしいジョークにして叫び、それを聞いた周りの人が笑ってくれることで癒やされる。そして同時に周りの人も癒やされる。 ヤジがあることで競輪はエンターテインメントとしての完成度を高めているのです。
もちろんそれは面白いヤジであることが条件。ヤジのセンスがなくてドンスベった場合、負けた悔しさが倍増されますし、恐ろしく痛い視線も注がれるでしょう。生きているのがつらくなるほどの罵声を浴びせられる可能性もあるので注意しましょう。
それとは違い、もうひとつ、別の意味を持ったヤジがあるのをご存知でしょうか? 最初にそれを知ったのは、競輪の師匠が放ったこの言葉でした。
「ちょっとバックまでヤジを飛ばしに行ってくる」
ヤジは基本的にスタートする前やゴールした後で飛ばすもの。どこで飛ばしても変わらないだろうと思っていたのですが、師匠が飛ばすヤジはそれとは別のものでした。
「俺がコーチしないとならないから」
そうです。師匠はヤジで選手をコーチングし、自分の思い通りに走らせようとしていたのです。 買っている選手が仕掛けどころを間違えないように。踏みだしのタイミングが遅れないように、背後に目が付いていない選手の代わりに後続のラインが動いた瞬間……。
「来たぞ!」
と叫ぶ。レースの仕掛けどころになるであろう場所へ行き、選手に最も近い位置で確実に状況を伝えるヤジ。競輪にはまさしく“コーチング・ヤジ”というものが存在するのです。
競馬やボートレース、オートレースにはない“駆け引き”が重要な競輪だからこそ、意味のあるヤジ。他にもいろいろなタイミングで効果を発揮する“コーチング・ヤジ”がありますので、次回詳しく説明しましょう。